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Salone in Roppongiフィーチャリング・アーティスト吉岡徳仁さんに聞く「未来をつくるために必要なこと」(前編)

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手がける作品の領域は実に幅広く、デザインからアートまで数多くの革新的な作品を世に送り出している。そんな吉岡徳仁氏にまずは、今回の作品についてのイメージを聞いた。

「それは、静止した物質ではなく、まるで生きているかのような光そのもの。作品から、光が放たれる不思議な感覚を覚えるのです。光には、沢山の種類があります。薔薇の赤や海の青さなど、様々な色が重なることで、白く輝く光となります。偶然の中に存在する奇跡。大自然の中にある無限の美しさ。光は、計算しても捉えることのできないものだからこそ魅力を感じ、私は光を表現し続けていくのだと思います。」

次に、ミラノ・サローネに集まるデザイナーの中でも最も注目を集める吉岡徳仁氏にミラノサローネとの関わりについて聞いてみた。

- ミラノサローネとの出会いは?
昔から海外のデザインを見ていて、ミラノサローネがどれだけの影響力をもつ、作品発表の場か、よく理解していましたが、日本ではほとんど知られておらず、出品している日本人もわずかでした。1999年頃から何度かミラノを訪れた中で、自分の作品を展示するだけではなく、一流のメーカーから作品を発表したいと考えるようになりました。それから沢山の方々と出会い、2002年にはドリアデで「Tokyo-pop」を発表することができました。時間はかかりましたが、あきらめずに続けたことが実を結んだのだと思います。

- 当時はどんな気持ちでチャレンジしていたんでしょうか。
その時は、「作りたい」という気持ちだけ、それだけでした。純粋に自分が表現したいものを生み出したい。自分が納得いかないものを人に勧めることはできませんし、クオリティの高さも大切です。海外では、今までにない新しい発想が、重要視されています。今までにあるようなものを販売しても、結果的に価格競争になってしまいますので、新しい考え方の商品を作って差別化していかなければなりません。

- その後、世界から注目される活躍ぶりでしたが、それはどのような経験でしたか。
2001年の紙の椅子「Honey-pop」、2006年のLEXUSのインスタレーションで注目されるようになりました。そして、2007年のMOROSO、2008年のKartellと続いたことで認知されたのだと思います。ミラノサローネでは、継続して発表することが重要で、その継続の中で初めてデザイナーとして受け入れられたのではないでしょうか。世界という厳しい環境ではありますが、とても良い経験をさせて頂いたと思っています。

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